ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

ギフト

ここ最近、何年続いたかわからない習慣があって、

説明しづらいのだが、説明するとこうなる。

 

それは、

 

【一人でお酒を飲み、

酔いながら無双状態(無敵、悩みや不安よサラバ、

ナヤミムヨ~♪  と感じる状態)

になりながら、

「この考え、やり方を素面の時に貫けば、シラフの現実社会でも

俺は無双状態だ。

やったぞ、とうとう俺はもう永遠に無敵だ」

、というような気持ちになりながら、翌日からは

それまでとさほど変わらない日々が待っている】

 

というような感じを続けるという習慣だ。

昨日あたりに、

酔ったやつ(自分)の言うことは信じまい。

とあらためた。あたらためるまで、時間がかかっている。

 

思えば、その昔は、一人で酔って自分は天才だと思い込む癖があった。

シラフでは自分が天才だと思えるには程遠い現実があるが、

酔って自分が天才だと思えると、

それはたまらない気持ちよさなので、

また飲んでしまうのだ。

繰り返せば結局、天才でもバカでもなんでもなく、

アルコール依存症になる。

 

つまり、ぼくは天才にあこがれていたのだろう。

なれないものになりたいきもちをすてよう。

きみはきみでしかありえない。

てんさいでもばかでもどちらでもないしどちらでもいい。

きみはきみだ。

 

というところに落ち着いた現在。

 

僕は何事においても、時間がかかるタイプだ…

 

という思い込みも強い。

 

 

自分が自分が病である。

 

 

ところで、どうも天才とよばれる人たちは、

とくに自分が天才とは思っていないようである。

本当のところはわからないけど、なんとなく、

そう感じる今日このごろ。

 

あるいは、天才かどうかは、自分が決めることである。

自分を天才と思ってもいいし、

誰かを天才と思ってもいい。

どうでもいいレッテルだ。

大事なのは自分が楽しむことではないか、

という新しい僕の考え。

人はどうでもいい…

 

と思うのはもちろんビールを一人で飲んでいるからであって、

人がいたら、人はどうでもいい、とはならないのです。

少なくとも僕は…

 

話はかわって、

 

例えば、最近は「ギフト」という言葉がある。

才能は与えられたギフトだから、有効に使いなさい。

 

「ギフトは誰にも等しく与えられているから、

頑張ってそれをみつける事だよ、と。」

 

↑誰の言葉だろう?

 

 

ビールを飲んで記した駄文はとうとつに終わる。