ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

♯9 夜に一人

「夜に一人」

 

お腹が減ったよ 冷蔵庫を開けよう

腐りかけのバナナ 食べようかやめようか

テレビをつけて けして また つけて

グラビアアイドル 抜け出して 僕の夢をきいておくれ

 

少し酔った 一人で酔った

友達はみんなつかまらない 恋人なんてあてにならない

 

空を見れば綺麗 星空今日もきれい

僕には関係ない バナナも関係ない

アイドルも関係ない 酔ったって関係ない

 

思い出はいつも きれいなものです

ブラウン管の向こうから 聴こえるメロディさ

ああ安いさ タコが出来て踊るぜ

恋に落ちた あの夜の 素敵な気持ち ワンモアタイム

 

空を見れば綺麗 星空今日もきれい

僕には関係ない 思い出も関係ない

星屑に投げ捨てちまえ レリビーにケセラセラ

 

酔いどれコーラス 前ちゃん

 

 

 

 

2023年にやりたいこと

2023年にやりたいこと

 

アルコール依存症の人の回復には、断酒や禁酒しかない、というのが

セオリーなんだそうだ。

私はアルコール依存症だが、節酒にチャレンジしたい。

控酒といってもいいかもしれないい。酒をやめたくはない。

量や回数を減らして、酒とうまくつきあいたい。

 

アルコール依存症」と「酒好き」の違いの定義に、こういうものがあるらしい。

 

酒が原因で社会的問題をおこす人がアルコール依存症

問題はなく、ただ本人が好きで飲んでいるのが酒好き。

 

私はずっと後者だと思っていたが、前者になってしまったので、

アルコール依存症だと認めることにした。

 

飲酒運転をして、免許がなくなった。

知人の家で酒を飲み記憶をなくし、

気づけば車の運転席で寝ていた。コンビニの駐車場だった。

警察に起こされた時は意味がよくわからなかった。

 

飲酒運転は基本、現行犯で捕まえるものだそうだが、

私は「運転していた可能性が極めて高い」というところから

現行犯ではないが検挙され、在宅事件として捜査をした結果、

道路交通法違反の罪で免許を失った。

自分の車についていたドライブレコーダーや、コンビニにある

防犯カメラが証拠となった。

 

私は普段、車で通勤していたのだけれど、車を運転できなくなったので、

理由を説明し退社して、歩いて行ける会社に転勤した。

 

私には妻も子もある。本当は酒をやめるのが妥当なところだろう。

だが私はアルコール依存症だ。やめるとかやめないとかではなく、

飲んでしまうのだ。それは意志を超えたところにある。

アルコールはドラッグであり、ドラッグとはそういう危険性があるから

やってはいけないことになっている。だがお酒は20歳以上の成人に

限って日本政府によって許されている。そしてもはや私はアルコール

依存症であるゆえ、やめたくはない。でも、日常生活や体を大切にしたい

気持ちはある。

 

穏やかな幸せ。穏やかな幸せは退屈だが、ビールを一本飲むと穏やかな

幸せを感じられる。穏やかな幸せを感じた後にはもっと楽しくなりたくなる。

二本、三本と飲めば、それは興奮へと昂ってくる。その気持ちよさが

やめられないのだ。

 

本当は酒が違法になってしまえばいいと思っている。

本当は酒が世の中が消えてしまえばいいと思っている。

でもそれはもちろん嘘だ。

私は酒が好きなのだ。

 

だから私は今年、自分を律する事が出来るレベルでお酒を飲みたいと

思っている。そんな事ができるのだろうか。できるはずがないはずだ。

それがお酒の本質なのだ。いいや、違う、私の本質なのだろう。

 

しかし今、私は助けてほしい。

飲まなくてもじゅうぶんに楽しくやりがいを

感じられる毎日を送りたい。

 

どこかでだれかがささやいている。

お前は素直になればいい、と。

 

きっとそうなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独についての解釈

孤独というのは、一人きりだ、ということではないらしい。

 

人は皆、一人きりだ、というような言い方もある。

 

双子で生まれたり、心中でもしないかぎり、

産まれる時や死ぬときはひとりきりだろう。

だが産まれた時には間違いなく母親がそばにいたはずだし、

死ぬときも、見送ってくれる人が、おそらく、

一人くらいは、どこかに、おそらく、たぶん、きっと、

いるのではないか?(希望)。

 

孤独とは何だろう。

 

それはこういうことらしい。

 

たとえば、おいしい、という感覚。

そのおいしさは、自分にしか感じられないものだ、ということ。

 

たとえば、ある音楽に対して湧いてくる感情。

その感覚も、自分にしか感じられないものだ、ということ。

 

他人がどう感じているか、というのを

そっくりそのまま、同じように感じることを確かめる術はない。

 

それをまさに孤独というのだ、

 

という新しい見解、解釈。

 

思えば僕は幼少の頃から

 

「この、自分の見ている赤色は、他人には

どのように見えているのだろう、それは自分の

感じる赤色と同じだろうか」

 

という疑問を肌身に抱いていた。

 

それは、暫定的に確認しあう事はできても、

最終確認はできない、永遠に。

 

それはつまり、人は永遠に孤独である、ということに

ほかならない。

 

でも、みんな、それが等しく同じということは、

孤独はおそれるものではない、とわかるのではないか。

 

 

 

 

 

 

セリンクロ体験記 その③ファイナル編

あらすじ

 

俺は医者からセリンクロを処方してもらった。

 

医者は言った。

 

『君がくれという、「酒が飲めなくなる薬シアナマイド

は勧めない。なぜなら人によっては救急搬送されるほどの苦しみがあるからね。

替わりに、酒を飲む前に飲む薬で、酒を飲んでも楽しくなくなって、

まぁいいや、と思えるようになる薬をあげよう』

 

 

それでもらったのがセリンクロ。

 

だが処方されてからずっと、

セリンクロの封は一度も開かれていなかった。

 

もらったはいいが、

飲む気になれなかった。

 

楽しくなりたくて酒を飲むのに

楽しくならない薬をわざわざ飲む意味がわからなかった。

だからセリンクロは飲まず、酒だけを飲んでいた。

 

今回の職場のコロナ休園による連休中、

いつものように毎日飲酒をしていて、

今日も飲んでしまうよなぁ、飲むのにも飽きてるんだけどな、

だからやめるというわけにはいかないのが酒なんだよな、

と思った時、

 

「よし、飲むのは飲むとしても、

今日は酒を飲んで楽しくならなくてもいい」

 

と思った。

代わりに、セリンクロを飲んで酒を飲むとどうなる

のだろうか、という気持ちが湧いた。

その好奇心からセリンクロを初めて飲んだのだった。

 

以上があらすじ、以下が本編(セリンクロ体験記その③ファイナル編)。

 

 

 

台所にて、妻の前でセリンクロを飲んだ。

一錠をコップ一杯の水で飲んだ。

 

それからビールを3本持って一人自分の部屋に入った。

 

セリンクロを飲んで、1.2時間経ってから飲酒をはじめるのが

セリンクロの正しい使い方だ。

 

目の前のビールを早速飲みたかったが、

まだ早い、と飲まなかった。

 

この時点で、普段の飲酒欲求に

セリンクロが勝っている。普段ならば、目の前にビールを置いたら

まず、すぐに飲むだろうと思う。

これはセリンクロの効果なのか、それとも、きちんと

セリンクロを試したいという好奇心が勝っているだけだろうか。

 

まだわからない。

 

待っているとウズウズしていて落ち着かなくて

階下に降りてキッチンにいる妻と話した。

 

しばらく他愛のない話をしていた。

 

その時、ある瞬間、なんだか異常な興奮を覚えた。

自分のテンションが明らかに変なのがわかった。

ぐわっと感情が動いて、それが目に見えるような気がした。

いや生き物の影のように、目に見える、と感じた。

会話がギュインギュインと異常なテンポを持っている、

と感じた。表せられない感覚。

 

その後ふと、

 

「今後いっさい、不安な気持ちとは永遠におさらばなんだ」

 

という根拠のない安心感につつまれた。もっといえば、

 

「これから間違いなく俺は億万長者になるんだ。

もう、そう決まっているんだから、

金の心配は未来永劫しなくていいんだ、よかった」

 

と思った。

 

それからすぐに落ち着いて、

これはおかしいぞ、と、思い、

 

ちょっと一人になるわ、と再び部屋に戻った。

 

机に置かれたビールはもう飲む気にならなかった。

急な興奮に驚いていて、もう少し冷静に自分を

みつめたかったのだろう。

もっとセリンクロを試したかったのかもしれない。

本来は酒とチャンポンする前提であるのだが、

酒とチャンポンしてはセリンクロがわからなくなってしまう、

と間違った行いをしている意識も少しはあったが、

好奇心には勝てなかったように思う。

 

 

腹が減っていると気づいて再び台所へ降り、

冷凍うどんを茹で、こちらも初めて試すカレーうどん

レトルトのスープと合わせて、出来上がったものを

再度部屋に戻って食べはじめる。

 

ひと口食べ、あれ、おかしい、味がまったくしない。

これはセリンクロの効果か?そういえば、医者は

セリンクロの説明時に、

 

「酒を飲んでも楽しくなくなって、

満腹の時のように、まぁいいやと思える感じ」

 

と言ったが(言ったのだ)、

それは食べ物でも同じなのだろうか?

 

味のしないうどんを食べたいと思わない。

 

いや、もしやそれとも、味覚障害、すなわちコロナ感染か?

 

心配になってまた再び台所に降りて、妻に

味見をさせる。

 

「おかしい、味が全くしないんだ、

ちょっと味見をしてくれ」

 

妻はこのご時世なので、人が箸をつけたものを口にしたがらないが

(あるいは俺が箸をつけたものを口にするのが嫌なだけかもしれない)

スープだけ頼む、と口にしてもらった。

 

「こ、これは… 」

「どうなんだ??」

「味がしない、味が無い。超薄味だ」

 

ああそうか、焦ったな、とひと安心はしたが、

その時すでにもう腹は減っていなかった。

 

やっぱりなんかちょっと変だわ、部屋に行くわ、と

部屋に戻り

机のビールのことはほっといて、

布団にゴロンとなる。

 

なんだかフワフワと変な感じ。

 

落ち着こうと音楽を流す。

 

俺は大きめの古いスピーカー2つに

頭を挟まれるような位置関係に枕を置いて

そこに横になってリスニングをしている。

 

そこは特別な空間である。

 

すぐに音楽に気持ちが集中した。

そして音楽が立体的に響いて聞こえた。

 

ああ、これは俺の好きなやつかもしれない、、

 

と、その日はそのまま、横になったままずっと

音楽を聴き続けた。朝までほとんど不眠だった。

だが不快ではない。

いつまでも音楽に浸っていた。

 

ただ、多幸感のようなものはなかった。

浸って音楽に集中しながら、他に何も考える必要がなかった。

幸せというよりは音楽が楽しかった。

 

中学生でビートルズに出会った時のような、

高校生の時にハードロックに出会った時のような気持ちで

興奮しながらクラシック音楽の中にいた。

 

クラシック音楽ってこんな世界だったんだな。

新しい趣味ができたぞ、と喜んだ。

 

次の日も休みだったが一日フワフワとしていた。

ただ気持ちの良いフワフワではなかった。

めまいに似ているがめまいではない。

なんだか、とにかく、フワフワとしてしまう。

 

夜になって9時くらいになって妻に

 

「ちょっとまだフワフワするから寝るわ」

 

と部屋に行った。その日はビールを用意せず

セリンクロだけを飲んだ。

正直に言うと、フワフワは嘘ではないが

昨夜のように音楽を楽しみたかった。

 

そして同じように朝までクラシック音楽に浸って過ごした。

ジャズも沢山聴いた。

 

それまでもクラシックもジャズも

好きなものは大好きだったが、それ以外は、努力して

勉強して聴いているという感がなくはなかった。

好きにはなりたいが、そこまで好きにはならない。

 

しかしこれからはどっぷりと

大好きになっていくのかもしれない、という気持ちがある。

聴き方の概念が変わった、知った、という感覚がある。

 

クラシックもジャズも膨大な歴史、音楽家がいる。

膨大な名作がある。クラシックとは直訳すれば古典だ。

古典とは時間に淘汰されずに生き残った作品のことだと

理解している。

 

まだ自分にとってほとんど未開なジャンルと出会えて

先の人生が楽しみに思えるようになった。

 

さて、話は戻ってセリンクロ。

 

二日続けて一錠ずつ飲んだわけだ。

本来の使い方である、酒と併用する、という

使い方はしていない。

 

そしてまだ続きがある。

 

それ以降、セリンクロはもう飲んでいないのだが、

その後、二日三日四日と経過した今も、

気持ちの良くないフワフワが続いている。

説明できない不思議な皮膚感覚もずっとある。

不眠も続いた(不眠は基本的には俺には無いものだ)。

 

 

不眠は収まってきたが、それでもまだ気持ちの良くない

フワフワと不思議な皮膚感覚はとれない。

 

 

結局のところ、精神や脳に直接作用する酒をどうにか

しようとする薬ということは、それもすなわち同じような

向精神薬のような働きがあるのではないか、というのが

俺の結論だ。初めて飲む薬で耐性もないから

よく効いているのだろう。

 

セリンクロと一緒にもらったしっかりとした冊子には

 

「主な副作用(悪心、めまい、眠気)の他、

自殺したくなることもあると報告があります。

その時はすぐに相談してください」

 

などとある。

お酒と自殺との関係性もあるらしいから、やはり何か

そっち系なのだろうと予想する。

 

 

音楽が楽しく感じられたり、一瞬ではあるが

不安が皆無になった事は確かだが、

この気持ちの悪いフワフワと不眠は割に合わない、

というのが正直な気持ちだ。

そもそも不安は自然な感情なのだから。

不安が全くないというのは、不自然だ。

 

 

こんな長く文章を書いたり、

普段は使わぬ「俺」と使ったりと

まだ何かセリンクロは自分の中にあるような気がする。

 

そういえばお酒はここ数日間は

一滴も口にしていないが、今日ふと、ひさしぶりに

強烈な飲酒欲求を感じた。

 

だが今日はなぜか我慢が出来た。

因果関係はわからないまま

数日の禁酒生活が続いている。

 

またいつか、休みの前の日に、

今度はセリンクロと酒を飲むという正しい使い方を

してみたいという気持ちはある。

 

セリンクロ単体は気持ち悪いし割に合わない。

酒の飲みすぎはもう勘弁だ。だが酒は好きだ。

 

一番いいのは、時には休日前に、飲みすぎない程度に酒を

飲む、

 

という生活スタイルだ。

そこを目指していこう。

 

セリンクロは比較的新しいマイナーな薬のようだ。

もちろんネット上に沢山の情報がある。

 

もしあなたの何かの参考にでもなれば幸いです。

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セリンクロ体験記 その②

明日記そうと書いたのだが、

僕はせっかちなのだろうか、

 

 

記し終えたと思ったしばらく後には

もうセリンクロを試してみたい、

そう思ってとまらない。

 

今日は土曜日、家族も休みだが

雨で外へは行けない。

 

しばらくして

一錠を奥さんの前に宣告してから飲みこんでいた。

2022.1.29 AM10:10

 

 

飲酒をする1.2時間前に飲むのがルール。

今はちょうど AM10:30 

 

昨夜の二日酔いがまだ残っている中での飲酒への準備だ。

好奇心旺盛なのか、アホなのか。多分どちらも。

 

 

今、ビールが目の前に3本あるが、

まだ飲みたいと思わない。

すぐに飲むつもりだったが、

1.2時間前の飲むのがセリクロンの推奨だが、

 

 

・だから目の前のビールを我慢していられるのか、

それとも

・すでにセリンクロの効果が出ている

 

のか、自分ではわからない。

AM10:50

 

ていうか、セリンクロを貰った時に小冊子を

一緒にもらっているのだが、

それを読んでいる。

 

いろんなことを考えると少し眠くなる。

 

 

 

セリンクロ体験記その①

シアナミドを貰おうと病院へ行ったのは

たしか昨年暮れだったはずだ。

 

だが医者にシアナミド(シアナマイド)は

おすすめしないと言われ、

その理由に納得した。

 

かわりに医者はセリンクロを

くれたのだった。

でもまだ今日まで一粒も飲んでいない。

 

だが今日から飲んでみることにする、と決めた。

 

シアナマイド、セリンクロ。

いずれも

嫌酒薬(けんしゅやく)抗酒薬(こうしゅやく)

のひとつと言ってよいはずだ。

 

酒。

 

酒は酒でしかないが

僕にとって悪友のような感じだろうか。

 

楽しませてくれるが大変な事もある。

そして離れられない。

 

離れられない酒、酒はドラッグのひとつ。

 

ドラッグを直訳すれば薬。

 

薬は用法・用量を守るのがルールだ。

そこがネックだ。

 

コロナによる突然の連休。

陽性者が出て職場の保育園がしばらく休園になった。

 

おかげで

毎晩深酒をしてしまう。

 

 

 

もともと僕はほとんど毎日酒を飲んでいる。

その習慣は25年前からはじまっているが

飲み方は一貫しておらず、その時々で色々

だったはずだ。つまりは適当。

 

最近、ここ数年は、

 

次の日が仕事なら適度にとどめられるが

(ある程度、ではあるのだが…)

 

次の日が休みとなると、好きなだけ飲む。

寝るまで飲む。

 

というよりは飲みすぎていつの間にか

寝る、というのが常だ。

 

そうなると

ありがたい連休は飲酒と二日酔いの日々となる。

 

月に何度か飲まない日もある。

(飲まずにすんだ、という感覚か)

 

その翌日はとにかく気持ちが良く爽快だ。

 

酒を飲まないとつまらない。

酒を飲まなければ朝は爽快。

 

 

薬には副作用がある。

 

副作用のひとつ、

二日酔いがここ数年きつくなったので

そろそろ控えてもよいな、控えたいと

思うようになっているのだが、

飲酒習慣、お酒の力は強い。

 

酒で苦しむ人は古今東西うじゃうじゃいるわけだが、

近年では依存症は病気ですと言われるようになっている。

 

[依存症]と[酒好き]の違い、定義として面白い表現があったので

紹介する。

 

「社会的や体に悪い影響をおよぼしているのに飲んでしまう人が

依存症。

 

何も問題なく好きで飲んでいる人が酒好き。」

 

 

僕は酒好きだったが、どうも依存症になってきてようだ。

だから病院に行って薬をもらった。

でも薬を飲まなかった(飲めなかった)のは、

 

楽しく気分よく飲みたいからだ。

楽しくなりたいから飲むのに

楽しくなくなる薬を飲む気にどうしてもなれなかった。

 

 

だが今日は「楽しく酒を飲みたくない」と思っている。

 

飲みたくないと決めても、飲みたいという欲求には

適わない事はわかりきっている。

 

だが、

 

「楽しくならなくていいや、気分よくならなくていい」

 

と思うのは初めてのことだ。

 

 

今日は、セリンクロを飲んで酒を飲むとどうなるか試したい

 

と思っている。

 

はじめに挙げたシアナマイド(ダイナマイトみたいだな)は

 

その薬を飲むと酒が飲めなくなる薬で、

シアナマイド服用中に酒を飲んでしまうと

苦しくなって、倒れて病院に搬送されるほどの力があるらしい。

 

それほどとわかっていても、酒飲みは酒を飲む。

僕だってそうなる自信はある。

だから医者はシアナマイドは出せないと言った。

 

搬送先でも

 

「誰だよ、シアナマイドを処方した医者は」

 

となるらしい。

 

セリンクロは比較的新しい薬で、

酒を飲む前に飲むくすりなんだそう。

 

そして、そのあとに酒を飲んでも、

「ま、いいか、のまなくても」

とか、思える薬らしい。

なんだ、それはハンシンハンギではある。

 

「ま、いいか」ってどんな気分です?

 

って医者にたずねると、

 

「なんか、おなかいっぱいで、もういいや」

 

と思える感じ、

 

というようなフワっとした答えだった。

 

つまりその、どうなるのか知りたいために飲む、と決めて、

その事が楽しくなっているのだが、

 

「ま、いいか」って思えるかどうかって、

すごくビミョーで、

 

心理ってやはり面白いなぁ、

 

と思っている。

 

セリンクロ体験記はまた明日記そうと思う。