明日は休みなので、本当は
行きつけのライブバーに行って、
セッションでもしたいな、と思って
いたのだが、コロナで気が引ける。
その代替行為としてビールを飲む今夜。
何もなくたって飲むし、
何かがあるからといって飲む。
そのような認識の薄い人がわりといるので
いつも僕はいうのだが、
酒はれっきとしたドラッグである。
国家の許すドラッグである。
れっきとした仲間である。
飲み会=ドラッグパーティー である。
さてさて、家で飲んでも結局は暇で退屈なんだけど、
不思議な事に、酒を飲むと、些細な事も楽しくなる気になる。暇がなくなる。退屈がなくなる
何をしても楽しい感じで、何をしなくても良い気分になる。本当に不思議なものだ。
それは恋に似ているのかもしれない。
勝手に有頂天になったり、勝手に地獄にも行く。そんな恋を最後にいつしたかはもう思い出せないのだけれど・・
僕が最近、ビールを飲んでする楽しい暇つぶしは、ここに駄文を記す事。記しているだけでも楽しいのだが、日記ではない。ここ、すなわちネットの世界に放ち、誰かに読まれる事を想定している。タイピングの最中(今日はフリック入力だ)は孤独だが、誰かに見てもらえるという予感がある。
本当はセッションがしたい。
本当は女の子と飲みたい。
そういう欲求の代替行為として
記しているのだと思う。
お酒の凄いところは、
代替行為のはずなのに、
代替ではなくて、それでじゅうぶん
満足できてしまうところである。
凄くないところは、
代替行為である故に、
酔いから覚めると、その欲求が消化されていないところである。
むしろその欲求は、実際に叶えられたわけではない故、それ以前より膨らんでいるかもしれない。
例えるなら、眠っていて見た夢の中で
自分の夢が全て叶っても、起きてそれが夢とわかったら、満足しないし、もっと叶えたいと夢は膨らむのではないだろうか?という感じ。
現実の中で夢は叶えられ
叶った時に夢は現実となる
だがしかし、酒を覚えてしまった者に、
現実で夢を叶える事は難しい。
酒を飲めばいつでも夢が叶ってしまうので、
わざわざ現実で苦労する必要がないのである。
僕は現実(素面)の中で叶えたい夢があるのだが、叶えるのは大変だという理由で、とりあえずビール、に逃げていると言える。
いつのまにかそういう習慣になってしまった。
昔は、現実の中に夢を設定して、叶える努力をして、
叶ったらご褒美に酒を飲む、という感じだった。そして飲みながら苦労した自分を労(ねぎら)っていた。それが最高に気持ち良かった。
いつしか、アルコールの幻惑が僕に取り憑き、
「努力しなくても気持ちよくなる事」
を優先するよになった。
コントロールしていたつもりが
手下になった感じだ。
コントロールしていたつもりが
手下
という世界は、勝った負けたの世界である。
私は最近、そこから降りた。
というか、飽きた。
勝ちも負けもない。
素面の自分、酔った自分と仲良く楽しく。
違いを許し・・
あ、そろそろやめよう。
やめたほうが良い気がする。
やめどきも分からない。
最後に、ドラッグを手にする人に共通するキーワードは
暇、孤独、ストレス、
なんだそうだ。
暇、孤独、ストレス、
を感じない人っていないよね。
酒ってホントにすぐ手に入るよね。
なんか、今、ふと、思ったんですが、
一人でおうちで孤独に、隠れて酒、
飲んでいる人、めっちゃ多いんじゃないか??
って事。
これは発見だ。
当たっているか、わからんけど。
多分当たっている。
アル中の星として、返り咲きたい!
返り咲くも何も、咲いた事が無いのだが、、
今日は以上だ。おまいら、飲んでくれて
ありがとう。おやすみ。