孤独というのは、一人きりだ、ということではないらしい。
人は皆、一人きりだ、というような言い方もある。
双子で生まれたり、心中でもしないかぎり、
産まれる時や死ぬときはひとりきりだろう。
だが産まれた時には間違いなく母親がそばにいたはずだし、
死ぬときも、見送ってくれる人が、おそらく、
一人くらいは、どこかに、おそらく、たぶん、きっと、
いるのではないか?(希望)。
孤独とは何だろう。
それはこういうことらしい。
たとえば、おいしい、という感覚。
そのおいしさは、自分にしか感じられないものだ、ということ。
たとえば、ある音楽に対して湧いてくる感情。
その感覚も、自分にしか感じられないものだ、ということ。
他人がどう感じているか、というのを
そっくりそのまま、同じように感じることを確かめる術はない。
それをまさに孤独というのだ、
という新しい見解、解釈。
思えば僕は幼少の頃から
「この、自分の見ている赤色は、他人には
どのように見えているのだろう、それは自分の
感じる赤色と同じだろうか」
という疑問を肌身に抱いていた。
それは、暫定的に確認しあう事はできても、
最終確認はできない、永遠に。
それはつまり、人は永遠に孤独である、ということに
ほかならない。
でも、みんな、それが等しく同じということは、
孤独はおそれるものではない、とわかるのではないか。