ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

新年

新年、母親とLINE電話で話した。

もうすぐ2歳になる息子を見せてやりたい。

そんな気持ちもあるのでTV電話だ。

 

母親は冗談半分に

「奥さんに迷惑かけていないか?」

ちゃんとやっているか?と聞いてくる。

 

親とは心配するのが仕事なのだ。

と断言するのもどうかと思うが

間違いでもないだろう?

 

さて俺が奥さんに迷惑をかけているか

ちゃんとやっているか? 

 

 

 

テレビ電話をしながら、

そこにいる奥さん(子どもと一緒にいる)

を見ながら、その問いについて考える。

 

ちゃんとやっていると胸を張って

言える程ではないが、

ちゃんとやっていなくもない

というのが本心だ。

 

そこで、ギリギリでうまく

やっているよ、と答えた。

 

奥さんは苦笑いをしてリアクション。

義理の母に対して苦笑いするというのは

いい奥さんだなと思う。

普通、義理の母には

 

「そんな事ないですよ。

あなたの息子さんはちゃんとやってくれています」

 

と言ってしまうものではなかろうか?

よくわからないけれど。

 

 

正月寝坊をしながら

寝起きの頭にそんな事が浮かぶ。

 

ギリギリ感はこういう事にも

繋がっている。

どういう事か。

 

やると決めた事を2つ設定したとする。

なんでもいい。

例えばトイレ掃除とメールの返事。

ひとつをクリアすると自己肯定感が

高まり、もうひとつはやらなくなる。

すると自己嫌悪に陥る。

おおげさに言えばそういう感じか。

プラマイゼロ。

成長して退化する。

綱渡りをよろけながらも

なんとか落ちずに歩いているイメージ。

 

 

そもそも2つ設定しなければいいのだが、

それでは物足りないと思ってしまう。

 

そこにヒントがあるのかと思う。

 

 

昨夜奥さんと話した事は

 

俺は「足るを知る」を覚えて方が良い、

という事だ。

 

言葉と概要はよくわかっている。

アイキャンノット

サティスファクション病。

 

例えば文章でもそうだ。

わかりやすくわかりやすく

読み手に伝わるように。

面白がってもらえるように。

 

と思い、答えのない底無し沼に

はまっていく。

プロの文筆家でもなんでもないのに。

 

音楽でもそんなとこがある。

 

料理には無い。掃除にもない。

だから時に俺は掃除や料理に

逃避する。酒にも逃避する。

 

新年は時間があるので

いろいろ考える。

ブログのタイトルが変わっている。

そういえば酔って変更したのだが

今の今まで忘れていた。

 

最近そういう事が増えている。

そんなに飲んでないのに

記憶が飛びやすいというか。

 

酒の量は減ったのに(沢山飲めない)

二日酔いをする。

量が減ったのに二日酔いする事に

腹立たしい。

減ってるんだから

二日酔いは勘弁してくれよ、

という感じなのだが、

そもそも飲めなくなるとは

そういう意味合いも含まれている。

 

 

記憶が飛ぶというのも

なんか自分に責任を背負って

ないようて気恥ずかしい。

 

最近ようやく、というのか

 

にわかに「責任」

という事を考える。

昔はずっと「責任」という

ものから逃げていた。

 

責任から逃げて自由にバタバタ

していたのが昔であるならば、

 

今は「責任」を背負う事で

地に足をつけて好きなように楽しみたい

という思いに変わってきているようだ。

 

「責任」という言葉に

重々しく かぎかっこを

つける俺。

 

かぎかっこはなんか重たいね

 

「新年」

 

「思い」

 

「責任」

 

「愛情」

 

以上、とりとめもなく終わる。

 

読み物としてではなく

 

自分の考えや感じている事を

文章化する作業は落ち着く。

 

そこは再確認した。

終わり。