ショウ・スズキ フロムオキナワ

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都会と子育て そして俺の半生 思い出を語る ~その①~

僕の住んでいる那覇市は一応都会という事になっている。

誰も疑問は持たないだろう。

 

 

 

僕は愛知県の田舎育ちで、山も川も海もある土地で育った。

豊かな自然だけはじゅうぶんにあったが、

信号もコンビニも近所にはなかった。

 

中学生にもなると、自転車で15分くらいかけてコンビニへ

行ったり、

30分以上自転車をこいで駅前に行ったり、大きなデパートへ行ったり

映画館へ行ったりしたものだ。

 

田舎は土地が余っているはずなのに、僕の通った

中学校には、校庭が狭いという理由から、

男子の人気の二大スポーツである、

サッカー部と野球部がなかった。(女子ソフト部はあった)

 

仕方なく僕はバレー部に入った。球技という理由だけで

選んだつもりだが、バスケ部も卓球部もある中で

バレー部を選んだ理由は、父親がバレー経験者だったから

という理由も大きいのだろうな、と思う。

 

僕には二つ上の姉がいるのだが、

僕がバレー部に入った中学一年生の時、

バレー部の村上先輩(中3)は僕の姉と恋仲だったようで、

そんな事もあってか、僕は先輩方から可愛がられた。

怖い思いをした記憶はない。

チームも強くて、僕は先輩たちに憧れた。

 

その先輩たちが卒業し僕が中2になった時の

中3の先輩連中とは、なんだかギスギスしていた。

とんちゃんと呼ばれていたデブのセッターで

女の前や先生の前ではお調子もので、後輩の前では威圧的な先輩がいた。

基本的に明るいキャラなのだが、

気に入らない奴をボコボコにする、みたいな人だった。

しょっちゅうイジメられている奴もいたような気がする。

体も大きいからやっかいだった。

僕は気が小さいから、なるべくとんちゃんの逆鱗にふれぬよう

気にしていたと思うのだが、一度だけ、体育館裏に連れていかれて

往復ビンタを受けた事を記憶している。本当に恐怖だったが、

このように記していると記憶がよみがえってきて、

とんちゃんに仕返してやりたい気分が生まれてくるが、

まぁ、いいだろう。

 

彼には彼の鬱屈があったのだ、おそらく、たぶん、きっと。

 

 

 

 

そんな中、バレー部で一緒になった同級生のりょうまとは

中学校に野球部もサッカー部も無いという事に対する、

共通の不満を通じて仲良くなった。

バレー部の部活中も、サッカーや野球をしては怒られていた。

 

彼とは音楽が好きという事も共通していた。

 

僕は当時、姉の影響でブルーハーツが好きだった。

りょうまはユニコーンが好きだった。

 

それでよく一緒に自転車で、郊外まで出かけてCDの

レンタルショップへ行った。

当時の主流だった8cmのシングル盤のヒット曲をよく借りた。

互いに一度に10枚くらい借りて、自宅に戻って

カセットテープにダビングする。

 

そのカセットを互いに交換しあって、カセットから

カセットへダビングしたのを覚えている。

 

 

カセットテープはグレード(種類)が選べて、

通常がノーマル

次がハイポジション(ハイポジ)

最高級がメタル、

というものだった。

値段も当然違うのだが、音質もやはり

違っていたと思う。現代はデジタルコピーの時代で

音の劣化が無いということになっているが、

当時はアナログコピー。

 

やはりノーマルはノーマルで

ハイポジハイポジの音。

メタルはメタルの音だよなぁ、と中学生ながらに

感じていた。

 

それで、お金の事もあるし、好みもあるしで、

ハイポジが好みだった気がするが、

 

ノーマルテープも使ったし、時には奮発してメタルテープを使用して、

やっぱりメタルは違うよなぁ、とか思っていた記憶が

あるが、本当に聴覚的な違いがあったのか、まやかしだったのか

自信がないし、今、聴き比べができるものなら、やってみたいと思う。

 

感覚的なものは、中学生くらいの多感な時期というのは

能力が高いのかなと推理すると、その感覚は正しかったのではないか、

と思うし、

 

いいや、幼い心だ、イメージ戦略にやられただけの

刷り込みや思い込みにすぎないのでないか、

 

とか色々邪推してしまうが、今となっては確かめようがない。

  

  

録音できる時間も色々あったが、

120分はテープが機械にからまりやすく、10分では短すぎる、

とかそういう事情もあり、オーソドックスな60分や

45分を愛用、時々は珍しさに釣られて少しイレギュラーな70分とかを

愛用していたように思う。

 

次へ続く・・