ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

ストレスと私 

私は42歳だ。

 

立派な中年のせいか、

老眼が始まり、物を読み書きする際に読みづらく、書きづらく、ストレスを感じる。

 

それから、職場である保育園で乳児クラスの担任になって、抱っこやら、物理的な重さを抱える仕事になってから、右肩の筋肉あたりに不快感を持ち続けている。

 

 

 

体験的に、体は、心と繋がっていて、、

というより、心は体であり、

体は、心と一緒にあるんだが、

 

それを感じられない脳化社会が、現代である。

私は心的存在なのか、体的存在なのか、

 

そんな事を考えるのは野暮なのだが。

 

なぜなら、言葉で体と表す以上、体は心で出来ているのだから 言葉を理解しているのは心だという私の主張

(お前、意味がわかるかい?)

 

 

炎上を恐れずに言えば(しないから、恐れる必要はないのだが)、

 

今日亡くなった三浦春馬は、コロナによる社会の働き(自宅待機とネット社会)によってバランスを欠き、鬱になり、自殺したのだ、と思う。

 

ストレスそのものは、誰に、何にも、ある。

感じる機能があれば、快と不快は存在するし、

不快=ストレスなんである。

 

すなわち、不快が何かしら、現実的に困った事を引き起こしていれば、それは悪いストレスで、快が現実的に困った事を和らげていれば、それは良いストレス解消方と言えるのではないか?

 

僕の独自の研究では、ストレスに気づかない人は良く眠り良く食べている。それで良く太って、それがストレスになっている。

長い目で見たら不健康なんで本人も止めたいが、やめられない。でも、ストレスには勝てず、やはり食べて太るだけで、精神はそこまで病まない。食べる事と眠る事がストレス解消になっている。食べすぎ眠りすぎ太りすぎ仲間も多いから孤独にもなりにくい。

 

三浦春馬は多分孤独だったはずね。

孤独は多分、死ぬ時に凄い友達になるんだ。

死んだ事ないから、わからんけどさ。

多分そうなんだよ。

 

不思議と今、チェインギャングがきこえてきたわ。