ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

ノンポリの謝罪

一週間ぶりに酒を飲んだ。

 

テレビやネットは会見一色に見えた。

自分がそういうニュースに目を奪われただけなんだけどね。

 

ネットとテレビ業界、

山本太郎とネットとテレビ業界

世間と政治、私欲と思いやりのこころ、

世間とネットや有名人。

明日は投票日。

比例代表山本太郎で。

 

なんか、誰かが大きなシナリオを書いている、

絵を書いてるんじゃないかと思えるな、

そうやって世間を上から眺めているんじゃないか?

 

と嫁に言うと、

「そういう捉え方するあなた、気持ち悪い」

と言う。

 

ドンパチやる戦争って、だいぶ廃れているけど

そういう男の争いって、形を代えて今でもあると思うんだよなぁ。僕は男だから、なんかそう思うんだ。上に立ちたいという気持ち。

それは本能なんだろうなぁ。

 

本当の血が流れてるわけじゃないから、別にいいんじゃないかって思う。やれやれ、もっとやれ、と、おもう。

ワールドカップと一緒さ。

 

人間ウォッチャーとして、

ジャニーさんの噂話も気になってしまう。

あの人もあの人も、

少年時代に、魅力的な夢の実現とひきかえに

少年には意味のわからない行為を許して(ホモハラ?)

スターになっているのか、とか思うと

人間(ジャニーさん)の凄さ(ヘンタイさ)に驚愕するが、

光の速さを計算する方法を考えついた人の方が凄いと思う最近。そもそも、光に速さがあるんだ、っていう考え自体、僕はたとえ人生200年生きてたって気づかなかったはずだ。

 

酔って自由に書きました。私がバカとバレるのはかまいませんが、傷ついた人がいたら謝ります(問題になる前に謝罪というスタイル!)

 

 

追記: ひさびさにこの駄文を読み返した

現在(2021.6.25)、

 

会見てなんの話?

と調べると、宮迫と田村亮の会見の

ことでした。ああ、そんなのあったね〜

&忘れるもんだよね〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酸欠になるほど夢中

通勤中に指笛を習得したくて練習している と このブログに記した。

 

その後、目指すほどの習得には至っていないが(私の理想はいつも富士山のごとく高い)

それなりには音が出せるようになっている。

 

 

指笛練習中、何度も強く息を吹くと酸欠になる。

もう大人だから運転中に夢中になって酸欠で運転がおろそかになってはいけない。

かわいい子どもがいるのだ。大切な家族。安全運転が目的なのだ。

指笛はおまけなのだ。

 

それでも慣習からだろうか、つい自分を見失いがちだ。

いつだっておれはロストマイウェイ。

そう冗談で歌えるくらいは余裕ができてきたかもしれない。

 

 

 

そういえば、あれは小学生の3.4年生だったのだろうか。

キャンプで「はんごうすいさん」をしていた時。

 

火がごうごう燃えるのがなんだか楽しくて、

「フーフーフー」と夢中で息を吹きかけていたのだった。

その時に、ぐわんとして(としか表せない)そのまま地面に横たわった。

横たわる瞬間もぐわんとしていたし、

横になってからもぐわんぐわんとして、空が回っていた。

その中で「なんだ?これは?」やばいやばい、と思いながら

そのぐわんぐわんが楽しかった、

という思い出がある。

 

要は酸欠になって「アワワ」としていただけなのだが、

はじめての経験というのは記憶に留まりやすいものだな。

 

以上、オチ無し。

 

 

冗談言ったら冗談じゃなくなった話

職場に入った新しい人から

 

「髪の毛切ったんですか?かっこいい」

 

と言っていただき(切ったのです)

 

「嘘でもいいから嬉しいです」

 

と返すと

 

「嘘なんか言いませんよ」

 

と言うので

 

「嘘なんか言いいませんて、そんなのおお嘘つきじゃないですか」

 

と気さくな冗談として応えたところ

 

相手の方の顔が引きつったような感じになり、

なんて事言うのこの人は??、みたいな顔をされた(ようにみえた)。

 

びっくりしたのだろうか?

 

悪意のない、あくまで冗談のつもりだったし、

親しくなりたいと思うからこその冗談でもあったのだが、色んな人がいるわけで、冗談も難しいわね、という話。

 

 

帰宅して嫁に話すと

 

相手を冗談にするのではなくて

自分を冗談にするのはどうかしら?

という。

 

例えば

 

「髪の毛切ったんですね、かっこいい」

 

と言われたら

 

「そうすか、今からでもジャニーズ行けますかね?」

 

とか言ったら?

 

とか、

 

何言われても

 

「なんだバカやろー」と、たけしになる、

 

とか。

 

そういう夫婦の楽しい会話をした。

いい奥さんですねぇ。

 

夫婦にもなると笑いのツボが似ていたり、似てきたりする。もともと似てるから一緒にいるかもしれない。

 

でも他人とは色んなツボやセンスが違う。

すり合わせながらバランスをとってやっていくのだ。その中で親しくなったり、そうはならなかったりする。私は基本的には平和主義者なので誰とも仲良くしたいが、頑固なところもあるので誰とでもは仲良くできない(どっちやねん)

 

 

前述の人に嫌われたかなー?まあいいかそれはそれで、と思っていたら、

あとから普通に話しかけてきてくれたんで良かったけど、その時こっちは

 

「変な冗談言わないほうがいいぞ」

 

というモードなんで若干緊張した。

 

 

 

 

人と比べろ 他人を羨め それから努力しれ

「人と比べる事は意味がない、

他人を羨んでもしょうがない。

自分のできること、自分をみつめ、

努力していけばいい。」

 

というのは本当の事、正論、事実だ。

 

でも、無意識に比べてしまうし、

羨んでしまう。

 

しょうがないよね。比べる事で、

初めて他人と自分が違う事を

認識できるのだから。

 

しょうがないよね、羨ましいと

憧れるから努力のしがいもあるって

ものだ。

 

という、それだけのはなし。

 

 

指笛を吹けるようになりたい

今の職場は通勤に車で1時間かかる。

往復で2時間、けっこうな時間を使う。

我が人生で最も長い通勤時間。

通い始めて3年ほどになるか。

 

その時間を有効に使いたいと思ってあれこれ

工夫しているが、

今のところこれという有益な使い方が

出来た、と人に言えるものはない。

自分でも気づかない何かは習得しているのかもしれない、3年を費やしているわけだから。

悪癖を知らずに身につけている可能性もなくはない。

 

とにかく、今日からは指笛だ。

指笛を吹けるようになりたい。

 

声が枯れた経験を経て、緊急時にも

サインのような音が出たら、という

思いも手伝ってか、今朝から何故か始めた。

 

朝から始め、帰路でもやって、

家でも少しやった。

時折音が鳴るようになったが、

まだ習得には至っていない。

 

目眩がする。休みをいれる。繰り返す。

脇腹の筋肉がつるようになる。

 

なんだか夢中になっている。

 

うんていを渡りきりたいがあまり夢中になって指に豆を作っているの子どもを見て、そこまでしなくても、と思う事があるけれど、なんだか

それに似た気持ち「出来るようになりたい気持ちが多少の不具合に気づかせないモード」に

入っているような気がして、なんか嬉しい。

 

なかなかそういう事って最近ないから。

 

わかるかな〜?

わかんねえよな〜‥

 

 

 

 

 

 

フンヌーからの‥

前日、フンヌー(憤怒)について書き記した。

翌日、少しだけ考えあらためた。

やっぱり僕はフンヌーは嫌なのだ。

怒りんぼなんだけど、笑っていたいという

気持ちが強いのは確かなのだ。

 

それをふまえ今日は、

 

フンヌーしててもしょうがない。

小市民の苦しみを貴族に伝わらぬものかと

苦心してもしょうがない。

小市民の喜びをとことん享受しよう、

 

というよなモードにスイッチが入った。

 

小市民の喜びというのは、

じつは幸せとイコールなんではないか、

ということに記しながら気づいたような

気がする。

 

貴族の喜びは、優越感と快楽だろう。

その発想は貧相だ。

ああ、でもうらやましい。

 

 

本当は貴族も小市民もない。

ただ生きているだけだ。

死ぬまで生きていくだけだ。

広い宇宙の小さな星で。

 

ということは、踊らにゃ損、

という事だな(謎)。

 

 

 

最近憤怒(ふんぬ、ふんど)していること

ふんぬ~、と思うことがある。

 

私は、基本的に人間を崇拝している。科学、芸術、建築、数学 医療

とにかくすごいと思う。車が走る、電気が点く、インターネットがめぐっている、

電話、テレビがある。宇宙にロケットが飛ぶ、水道が出る・・挙げればキリがない。

本当にすごいと思う。

 

宇宙を解明しようと

している宇宙研究人間たち。どうしてそんな事ができるのだ、

どうしてそんなことがわかるのだ、

本当にすごい。

 

私は全くの無力だ。ネジひとつ作ることができない。

いいや、ネジを甘くみてはいけない、ネジだって相当な技術の賜物だ。

 

というようなことから、心から人間を崇拝している。

 

 

その反面、人間は愚かだとも思う。利己主義に走るもの、戦争をおこすもの。

アインシュタインは原爆を開発し、結果的に後悔したという。

(アインシュタインは悪くない、と私は思うが)

 

以前から感じていたが、今まさにふんぬ~と憤怒しているのは

この日本の環境についてである。

子どもの遊ぶ場所がダントツに少ない。遊べる川や森、広場が

とにかく少ないという事だ。

 

個人的に、2か月前に子どもが生まれ父になり、

子どもの将来、近い将来から遠い将来を考える機会が生まれた。

以前から保育士をやっているから、

あまり現在の環境というのはあまり子どもにとって良いものではない、

と考えてはいた。誰からみたってそうだろう。

 

水遊びが好きな子ども。幼い子が水道で水遊びをする。保育士は

お部屋で水遊びはしないでと止める。じゃあ外に行って水遊びができる

かといえば、そもそも園庭がない、という保育園は多い。じゃあ

近所で川遊びをしようかといえば、近所に川はない。どうしたらいいのか、

子どもは我慢を強いられるよりほかにない。

私は先日思った 「物に溢れ食べ物に飽きている子どもたち。それに比べたら

なんと貧しい遊びしかさせてやれぬものか」と。

 

広場、土地、自然環境の足りなさが全ての元凶だ。

 

先日、歩道を散歩中の保育園の子どもの所に車が突っ込むという事故があった。

ニュースで専門家が「高度経済成長社会は車を中心とした道路環境づくりをした。

儲け主義、便利さ優先社会のツケがやってきている」といった表現をしていた。

私も同意見だ。一定の賢い人たちはいつだって警笛を鳴らしてきた。

原発だってそうだ。自然破壊だってそうだ。それでも上の人たちには届かない。

便利さを豊かさと勘違いして、便利さも極まってきた現在、豊かさは自然の中に

あると気づいた人たちは快適な車に乗ってわざわざ不便なキャンプを楽しんだりしている。

 

私も便利さは好きだ。自分が良ければよいという小さな自分もいる。

ただひとつ、自由にすごせる広い空間があれば文句はない。

だが今となってはそのただひとつの願いが難しい世の中になっている。

 

ところで子どもの特徴のひとつに、自分の置かれた環境に対して

ほとんど不満を声にしない、というのがある、と思う。

弱者ゆえか、その術を持たないだけか、あるいは自分は不満なのだ

という実感がないのかもしれない。反対に自分が幸せだと感じている

子もそうはいないのではないか。ただただその中にいる、という感じではないか。

でも僕から見ると、不満を持っている子ども達、と、幸せに育っている

子ども達、というのは成長や表情や雰囲気など全く違う。

 

ということは、このふんぬ~は子どもの怒りではなく、

私個人のパーソナルなものであるといえる。私は怒りの感情は

あまり好きではない。手っ取り早いのは田舎へ越す事か。

 

同じような憤りを抱える大人たちに出会って、少しでも社会を良い方向に

変えていけないだろうか、という思いが芽生えている。

理由はただひとつ、子どもがかわいいからである。