ショウ・スズキ フロムオキナワ

よろしくお願いします

最近憤怒(ふんぬ、ふんど)していること

ふんぬ~、と思うことがある。

 

私は、基本的に人間を崇拝している。科学、芸術、建築、数学 医療

とにかくすごいと思う。車が走る、電気が点く、インターネットがめぐっている、

電話、テレビがある。宇宙にロケットが飛ぶ、水道が出る・・挙げればキリがない。

本当にすごいと思う。

 

宇宙を解明しようと

している宇宙研究人間たち。どうしてそんな事ができるのだ、

どうしてそんなことがわかるのだ、

本当にすごい。

 

私は全くの無力だ。ネジひとつ作ることができない。

いいや、ネジを甘くみてはいけない、ネジだって相当な技術の賜物だ。

 

というようなことから、心から人間を崇拝している。

 

 

その反面、人間は愚かだとも思う。利己主義に走るもの、戦争をおこすもの。

アインシュタインは原爆を開発し、結果的に後悔したという。

(アインシュタインは悪くない、と私は思うが)

 

以前から感じていたが、今まさにふんぬ~と憤怒しているのは

この日本の環境についてである。

子どもの遊ぶ場所がダントツに少ない。遊べる川や森、広場が

とにかく少ないという事だ。

 

個人的に、2か月前に子どもが生まれ父になり、

子どもの将来、近い将来から遠い将来を考える機会が生まれた。

以前から保育士をやっているから、

あまり現在の環境というのはあまり子どもにとって良いものではない、

と考えてはいた。誰からみたってそうだろう。

 

水遊びが好きな子ども。幼い子が水道で水遊びをする。保育士は

お部屋で水遊びはしないでと止める。じゃあ外に行って水遊びができる

かといえば、そもそも園庭がない、という保育園は多い。じゃあ

近所で川遊びをしようかといえば、近所に川はない。どうしたらいいのか、

子どもは我慢を強いられるよりほかにない。

私は先日思った 「物に溢れ食べ物に飽きている子どもたち。それに比べたら

なんと貧しい遊びしかさせてやれぬものか」と。

 

広場、土地、自然環境の足りなさが全ての元凶だ。

 

先日、歩道を散歩中の保育園の子どもの所に車が突っ込むという事故があった。

ニュースで専門家が「高度経済成長社会は車を中心とした道路環境づくりをした。

儲け主義、便利さ優先社会のツケがやってきている」といった表現をしていた。

私も同意見だ。一定の賢い人たちはいつだって警笛を鳴らしてきた。

原発だってそうだ。自然破壊だってそうだ。それでも上の人たちには届かない。

便利さを豊かさと勘違いして、便利さも極まってきた現在、豊かさは自然の中に

あると気づいた人たちは快適な車に乗ってわざわざ不便なキャンプを楽しんだりしている。

 

私も便利さは好きだ。自分が良ければよいという小さな自分もいる。

ただひとつ、自由にすごせる広い空間があれば文句はない。

だが今となってはそのただひとつの願いが難しい世の中になっている。

 

ところで子どもの特徴のひとつに、自分の置かれた環境に対して

ほとんど不満を声にしない、というのがある、と思う。

弱者ゆえか、その術を持たないだけか、あるいは自分は不満なのだ

という実感がないのかもしれない。反対に自分が幸せだと感じている

子もそうはいないのではないか。ただただその中にいる、という感じではないか。

でも僕から見ると、不満を持っている子ども達、と、幸せに育っている

子ども達、というのは成長や表情や雰囲気など全く違う。

 

ということは、このふんぬ~は子どもの怒りではなく、

私個人のパーソナルなものであるといえる。私は怒りの感情は

あまり好きではない。手っ取り早いのは田舎へ越す事か。

 

同じような憤りを抱える大人たちに出会って、少しでも社会を良い方向に

変えていけないだろうか、という思いが芽生えている。

理由はただひとつ、子どもがかわいいからである。